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天国より届いた手紙 (家族を本当に愛するならば) [エッセイ]

私が突然死んでも家族がいきなり路頭に迷わないようにしなければならないと、何度も考えていました。
ですが、それは現在に至るまで実現されていません。

何故でしょうか。

人間は生まれてくれば必ず死にます。運命(さだめ)なのです。
その厳粛で当たり前の事実を受け入れるのが怖かったのでしょう。
現実から逃避していたような気がします。

来年の五月、バンコクの大使館を訪問するときに、大使館の職員に相談して対策をたてよう。
そんな言い訳で何年も先延ばしにしてきました。
気がつけば、在タイ13年目。
タイに生き、毎日充実した人生を送り、終焉はタイで迎えると決心できていました。

何かのきっかけで人生の方向が突然変わることがあります。
今回のがそのケースでした。
友人というか、知り合いから届いた一通のメールで目覚めました。

私は家族を本当に愛してはいなかったと。
私が愛していたのは自分自身に他ならなかったと、自分を責めました。
もしも明日突然交通事故で他界したらどうでしょうか。
家族は路頭に迷うに違いありません。

私は決心しました。
今すぐ作戦を実行すると。
名付けて、「天国より届いた手紙」(家族を本当に愛するならば)です。

天国より届いた手紙(ラフですが、原案です。英語、タイ語の翻訳も併記します)

関係者一同様:

皆様こんにちは。
この手紙は、いわば天国より届いた手紙とご認識ください。
本人はすでに他界しております。
この手紙は、生前に作成しており、私が死んだら郵便局より発送するように、タイ人妻(ソーンサアートカムプーン)に生前に依頼しておいたものです。
存命中は、皆様から多大なご助力を受けたことを、深く感謝いたします。ほんとうに、ありがとうございます。
同封の書類をご確認ください。
書類の作成には万全を期したつもりですが、万が一不備がございましたら、タイ人妻(ソーンサアートカムプーン)ではなくて、在タイ日本国大使館までご連絡ください。
大使館には、生前にその旨伝えておきます。
誠に勝手なお願いではありますが、妻は日本語を解しません。まったく対応ができないのです。
ここはタイ語の堪能な在タイ日本国大使館の職員の手助けが必須なのです。
私の死後も、家族が平穏に暮らせることを願っています。
皆様の暖かいお心、天国に行っても決して忘れません。
ありがとうございます。

松井清、天国より

英語翻訳:(粗訳です、まだチェックしていません)

To whom it may concern:

It is nice to see you again.
This letter is a kind of letter from the heaven, because I’ve already passed away.
Myself have created this letter when I’m still alive.
I’ve requested my wife, Khumpoon Sonsaard to send this letter to you immediately after my death.
I’d like to express my sincere gratitude to you and your kind assistance when I’m alive.
Thank you very much indeed.
Here enclosed is an attachment of this letter for your further assistance to the bereaved.
I’ve made every effort in creating this document but if there may be any mistake, please send the instruction in this regard to the Japanese Embassy in Bangkok for necessary correction.
I’ve already made an arrangement for it with the Japanese Embassy in Bangkok.
It’s almost impossible for my wife to understand Japanese words, so staff of the Japanese Embassy is a must in proceeding the deal, as they can contact my wife with Thai language.
I hope my family is able to spend a happy life, even after my death.
I never forget your thoughtful mind and kindness given to my family and myself.
Thank you so much.

Kiyoshi Matsui, from the Heaven.

タイ語翻訳:
作成中です^^。タイ語は難しいのです。

私が死んだら、生前に作成しておいた10通ほどの封筒を郵便局に投函するだけで、家族が引き続き安心して暮らせるようにするのが狙いですが、在タイ日本国大使館の協力が必須だと思います。
もちろん、何も問題なければ、私はただ天国から微笑んでいればすむということになります。

すぐにやらなければならない作業のステップは100ステップ程度になるかも知れません。

まず、千葉市若葉区役所に死亡届の様式の送付を依頼します。同時に日本年金機構中央年金事務所に遺族年金請求の様式の送付を依頼します。平成23年7月18日(月)には郵便局から日本に向けて国際郵便を投函します。

やっと第一歩を踏み出せました。

バンコク楽宮ホテル [エッセイ]

バンコク楽宮ホテル

「バンコク楽宮ホテル」は谷恒生が1980年代に書き下ろした徳間文庫の小説である。
一等航海士として、世界中の海を渡り歩いていたころの経験をもとにして、バンコク中華街ヤワラーのはずれにある「楽宮ホテル」に出入りする不思議な日本人の生態、ホテルに居住する笑顔の娼婦などとの交流などが描写されている。
80年代の貧乏旅行者たちが楽宮ホテルの一室の壁にこう書き残している。「金の北米、女の南米、耐えてアフリカ、歴史のアジア、何もないのがヨーロッパ、問題外のオセアニア」、「豊かな青春、惨めな老後」、等々。
20年前私が楽宮ホテルを訪ねたときには落書きされた部屋を特定することも出来なかった。多分消されてしまったのであろう。部屋には多くの娼婦たちが寝泊りしていた。
ここは日本人貧乏旅行者の言わば溜まり場であったが、そのあまりの汚さに、その地位をすぐ近くのジュライホテルに奪われていた。どのくらい汚いかといえば昭和初期の公衆便所の小便器の脇に大きなベッドだけがむなしく横たわっていると表現できる。パスポートや現金は拠点ホテルのセイフティーボックスに納めて、とりあえず必要な現金のみズボンのポケットに押し込んでここに数日滞在した。
部屋は窓の無い階段下の狭い部屋で一泊50バーツ、日本人が泊まれる明るい窓のついた広い部屋は一泊120バーツだった。狭い部屋は居心地が悪いので娼婦たちは夕方になるとラジカセを片手に私の部屋まで押しかけて来た。毎晩集まる娼婦たちの人数は10名を超えていた。私は小額のお金を渡してビールやウイスキー、また屋台の軽食をパックしてもらったものを買ってきてもらい部屋で毎夜パーティーをした。楽しかった。深夜の2時頃には一人あたり50バーツのチップを渡して、それでやっと眠りにつくことができた。やがて、女を買わない変な日本人が有名になり、あぶれた街娼たちが集まりだしたので、潮時だと感じて拠点ホテルに戻った。ちょっと淋しかった。
ホテルの一階はタイフリークの間では有名な場末の北京飯店、経営者はスワニーさん。昨年の6月にここを訪れたときにもまだ元気で小さな汚いお店を一生懸命切り盛りしていた。スワニーさんとは長い間の顔見知り、私はビールを1本注文しておつまみは日本式冷奴、料理の素早さがこの店の信条である。スワニーさんとしばしの間世間話をして、それから私はタクシーでバンコク北バスターミナル(モーチット)まで戻り、すぐにコンケン行きのバスに飛び乗った。
(スラチャイ記)

チャイヤプームの自宅にて [エッセイ]

9月1日~5日までの5日間チャイヤプームの自宅に戻っていました。
チャイヤプーム滞在中に書いたミニエッセイです。

教え子がやって来た:

7年前までここチャイヤプームの超僻地村バーンノーンヤーコーンで生活していた。
毎年2回、子供達の学校が休みになる時期、スラチャイは自宅で子供達の学習を手助けしていた。学習科目は英語と数学、生徒は10名くらい集まっていた。ここは貧しい農村、無償で奉仕した。
今日の午後、教え子の一人がうわさを聞きつけてスラチャイの自宅まで押しかけてやって来た。当時小学校4年生だった娘も今では16才、見違えるような美しさをしている。身長160cm、体重は35kgくらいであろうか、スラリとした肢体に美しさが宿っている。スラチャイは息を呑んでこの娘の成長を見つめていた。娘がなつかしそうに挨拶してきた。私は娘の美しさに飲まれて生半可な返事を返すことしかできなかった。娘の名前はタック、数学が苦手で、当時スラチャイがどんなに一生懸命に教えても理解できなくて泣き出すこともしばしばであった。当時は気軽に抱っこしてあげた娘も、もはや私の手の届かない世界まで到達しているのを実感させられて少しだけ淋しい思いをさせられた。
わずか7年されど7年、歳月の重さを実感しました。

楽園の王様:

ここはタイでも気候が涼しくてとても過ごしやすい。ここではエアコンは不必要だ。
NHKの朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」で水木しげるが楽園の間というのを自宅に作っている様子が放送されているが、ここはスラチャイにとってまさしく楽園の間、心休まる場所ではある。難点は超僻地ゆえに携帯電話の無線がここまでまだ到達していないこと。7km離れた隣村まで電波は届いているので、ここにもやがて電波は到達するものと思われる。短気なスラチャイは無線のアンテナを購入、ここでインターネットができるように準備を行っている。次の休みにはここでインターネットができるはずだ。
1000坪の敷地に囲まれて庭一面は果樹園と化している。
庭には放し飼いの鶏たち、朝は生みたての卵とアツアツのご飯で卵ご飯。
最高の贅沢、幸せですね。
娘たちが成長したら夫婦はここに戻り余生を楽しむ積もりです。
スラチャイはこの楽園の王様の地位をなんとか堅持できています。

天国へ旅立ったおじいさん、どうぞ安らかに [エッセイ]

昨日、団地のお隣さんが交通事故で死亡しました。このおじいさんはアルコール依存症で片時もアルコールを切り離せない。酔っ払って気が大きくなり、バイクで大通りへ乗り出した直後に大型車と接触、ヘルメットもかぶってなかったので頭部を損傷、病院で息を引き取りました。病院からそのまま村のお寺に運ばれ通夜が行われました。団地の住人はこぞって参加し、このおじいさんをしのびました。タイの役所の退職者でタイ人としてはきれいな英語もしゃべっていましたが、毎日大声で団地の住民に迷惑をかけていました。最後まで酒を断たず、迷惑をかけっぱなしのこのおじいさんですが、さびしかったですね。通夜の席でおじいさんの奥さんから、よく出席してくれましたと抱きしめられましたが涙が出そうになりました。私は10年目にしてタイの住民に受け入れられたのを実感させられました。本日もお寺へ出向き火葬の準備とうお手伝いします。

思いつくままに [エッセイ]

父は今から約15年ほど前に他界しました。
徴兵検査で体重が40キロくらいしかなかったので乙種合格、
体がひ弱だったので陸軍の衛生兵に配属させられました。
中国の青島(チンタオ)で4年ほど兵役、ここで終戦をむかえました。
人生とはまったく皮肉なものですね。
体の強健な兵隊さんたちは戦争の最前線に送られてそこで戦死しました。
体のひ弱だった父は九死に一生の思いで中国から帰国、
北九州市の旋盤工場に就職、
やがて母と恋に落ち私が生まれました。
父が戦死しておれば当然私は生まれてこなかったので、
人生の苦しみを味わうこともなかったのです。
人の運命とは全く不思議で不可解なものですね。
生をまっとうするということは本当に辛いものであることを実感しています。
日本では年間4万人あまりの人たちが自ら命を絶っているという記事を見ました。
本当でしょうか。
陸軍部隊の中に布施班長(実名)がいて父や同僚は毎日彼から往復ビンタをくらっていました。
テレビで歌手の布施あきらさんがでてくると、父は血相を変えてこう罵っていました。
「今度どこかで出会ったら殺してやる」
戦争は多くの若者たちの運命を根こそぎ崩壊させました。
二度と繰り返してはいけません。
しかし戦後60年、もうアメリカのつくった仕組みより飛び立つ時期ですね。
そういえば、私の中学時代に番長が1人いて往復ビンタをくらったのを思い出しました。
私は相撲が強かったので彼の相撲のお相手を何度もさせられました。
彼が転校していった後、安堵のため息を漏らしたのを覚えています。
文武両道、これから先の日本人は喧嘩(武力)も強くならなければ世界の中で落ちこぼれていくのではないでしょうか。

srachai from khonkaen, thailand

ご心配をおかけしております [エッセイ]

二人の娘たちカイちゃん6歳、シーファーちゃん2歳を授かっていなかったら、
70年代フォークで活躍したフォーククルセダーズの加藤和彦さんのように自分で命を絶っていたかも知れません。

2ヶ月間リハビリに専念するうちに苦しみに慣れてしまったというのが本音です。
右手が不自由になりギターが弾けないギタリストなんて絵になりませんからね。
エレキギターに転向しようかとも思いましたが、ピックギターでも右手の中指と薬指は使用することが多いですね。ちょっと無理かも知れません。
右指が快復するまではMIDI編曲のみで我慢しなければなりません。

高速タイピングも全く出来なくなってしまい、音声入力に切り替えようかとも考えています。
名前は忘れましたが有名な宇宙工学の天才学者が筋肉が徐々に衰えていく病気にかかり、指1本だけでコンピュータの助けを借りて会話していましたね。
私も病状が進んで同じような状態になるのではないかととても心配です。

どうか神様お願いです。
娘が成人するまで今の体の状態を保たせてください。

srachai from khonkaen, thailand

養女たちへの熱い思い [エッセイ]

私には養女が二人いる。
それぞれ22歳と18歳になる。
上の養女はコーンケーンの私立大学に進学させ、来年卒業予定だ。
人の子供を大学まで進学させて頭がおかしいんじゃないのか、という人もいる。
私はそれは違うと思う。
いずれ遠からず私も死ぬ日がやってくる。
実子カイちゃんとシーファーちゃんはまだ幼い。
私がいなくなった後、娘たちの面倒を見てくれる人たちは多いほどよい。
はるか遠くを見据えた将来への投資といったところでしょうか。
義父として養女たちへの愛情も芽生えてきている。
これでいい。
私は正しい路を進んでいると確信している。

srachai from khonkaen, thailand

旅の終りに [エッセイ]

どんなに楽しい旅であっても、終りのない旅はない。
また、どんなに苦しい旅であっても、終りのない旅はない。
どんな旅であっても、終りはかならずやってくるのだ。
旅は人生の縮図であるともいえるし、
旅とは実は人生そのものだということもできる。

スラチャイの家族は5月21日より家族旅行に出かけていました。
ラヨーンのメーラムプンビーチは有名なサメット島に対面するビーチですが、ここ数年はこのビーチで長期滞在するのが我が家の習慣となっています。
娘のカイちゃんが幼稚園に進学するまでは、1年のうち3ヶ月もここで生活していたので、タイ人の妻は私に「お父さん、そんなにビーチが好きなら、いっそこのビーチのコンドミニアムを購入したら」と嫌味を言うほどでした。
今回の旅行の後半で家族全員風邪をひいてしまい、ラヨーンの有名な私立病院で治療を受けましたが、困難を克服することで家族の絆(きずな)はいっそう深まったのを実感しています。

srachai from khonkaen, thailand

織田信長 [エッセイ]

戦国・安土時代の武将織田信長(1534-1582)は功業半ばにして明智光秀のため本能寺で自刃したが、辞世の舞「敦盛」は今でも人々の心を打つ。

「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり、ひとたび生を得て、滅せぬもののあるべきや、滅せぬもののあるべきや」

本当にその通りだと思います。
一日いちにち、精一杯生きないと、もったいないですね。
落ち込んでいる暇はない!
と、自分自信を鞭打っているスラチャイではあります。

どこまでいけるか [エッセイ]

1999年10月に会社を早期退職してタイに移住してから、もう今年で10年目。
いろんなことがあった。
苦しいこともたくさんあった。
ひとつひとつ困難を乗り越えることで、人間としても成長していった。
もうダメだ、これいじょうはできない、たちあがれない、と何度思ったことだろう。
妻はタイ人、3人の娘たちに恵まれた。
どこまで行き着くことができるかわからない。
けれども今、優しいタイ人妻と娘たちに囲まれて、毎日にぎやかだ。
お父さん、やっとわかった。
ああ、これが幸せっていうもんだなと。

srachai from khonkaen, thailand
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